たぶん、涙に変わるのが遅すぎたのね。

読んだ本 聴いた音楽 見た映画やドラマ 行ったライブ 美術展過去の経験談 考え 悩み

因果関係のこととか、教育格差のこととか、気になることをつらつらと。笑

 こういう話があります。

 

【次の食べ物を禁止すべきかどうか考えてみましょう】

●ある統計によると、心筋梗塞やガンで死亡した日本人の95%以上のひとが、生前ずっと「この食べ物」を食べていた。

●ある統計によると、強盗や殺人などの凶悪犯の70%以上が、犯行時間24時間以内に「この食べ物」を口にしている。

●日本人に「この食べ物」の摂取を禁止すると、精神的なストレス状態が見られる。

 

 

 

 

気づくひとはすぐ気づくかもしれませんが、

「この食べ物」って、「ごはん」なんですよね。

病人だろうが凶悪犯だろうが善良な市民だろうが、ほとんどの日本人は「ごはん」を食べるし、禁止されると落ち着かなくなったりイライラすることもあるだろう。

一面だけの単純集計だけを見ていては、「白米を食べることは禁止したほうがいい」なんていうバカげた結論にさえ至りかねない。

さすがにこの事例なら、だれもが「そんなわけないでしょ」と簡単にわかるのだけど、

冗談ではなく、

このくらい無意味な主張が、世の中には溢れている。

 

 

さらに、もう1つ。

「あるある」は当てになりませんよ、というお話。

 

たとえば次のような話を聞いたら、

多くの人は「あるある!」と思うかもしれない。

●にわか雨が降ってきたので外出先で傘を買った時に限って、その後に雨がやむ。

●トーストを落とすと、いつもバターを塗った側が地面に着く。

●たまたま遅刻しそうなときに限って、電車が遅延している。

●その人の噂話をしているときに限って、本人がやってくる。

 

でも、こうした「あるある」のほとんどは

実際には

単なる「記憶の偏り」によるものだということは、すでにその分野の研究では実証されているそうです。

 

少し考えてみたら分かることなのだけど、

人間はこれまでの人生で、何十回も経験したであろう「にわか雨が降ってきたので外で傘を買った」という経験のうち、「その後も普通にその傘をさしたまま帰宅した記憶」と、

「その直後に雨がやんで、無駄に傘を買ってしまったと悔しい思いをした記憶」、そのどちらをその後もより鮮明に覚えているだろうか?

 

人間はこれまでの人生で、何十回も経験したであろう「他人の噂話や悪口を言った」という経験のうち、「なにごともなく終わった記憶」と、

「その時に急に本人がやってきて、聞かれてしまったかもしれないとヒヤッとした記憶」、そのどちらをその後もより鮮明に覚えているだろうか?

これらの事例から分かるように、ほんの数例程度の偏った経験を、過剰に一般化してしまって、「●●を防ぐためには✖️✖️は禁止したほうが良い!」などという、根拠のない主張なんかが、平気でよく起こっています。

 

人間は、一度先入観を持つと、すべてのことを、事実をねじ曲げてでも自分の認識に矛盾しないよう、自分に都合よく解釈してしまう、という認識的な性質があるそうです。😓

こうした誤った認識をして、論理的に考えられない個々人が多ければ多いほど、(個々人の集まりによって成り立つのが社会ですから)

社会を誤った方向に向かわせてしまいますよね。

 

そんな大げさな…と思われるかもしれませんが、社会に大きな影響を与える様々な制度しかり政策しかり、決めるのは人間ですから、大げさな話ではありません。

 

以上のはなしは、西内啓さんの「統計学が最強の学問である」の記述を参照して書きました。

 

わたしたちが、日常生活において

いかに様々な勘違いや間違った認識を沢山しているくせにそれに気づかずバカげたことをやっているのか、ということを事例にあげて、

ちょっとした統計学の知識さえあれば、そんなものすぐにウソだと見抜けますよ、騙されませんよ、正しい認識ができますよ、

というようなことがたくさん書かれてあって、

トウケイガク????という方でも読みやすい内容になってて超オススメです😊(わたしもこれを読んでから興味を持ち始めました…)

 

 

こんな記事書くつもり

さっきまでまったくなかったんですけど、

昨晩の「月曜から夜ふかし」で

 「カップルで井の頭公園のボートに乗ると別れる」というのを調査しにいく、的なものがありまして、実際にそこでボートに乗ってるカップルに「別れやすくなると言われているのは気にしませんか?」みたいなインタビューしてる場面があって、

この話を思い出したので書いてます(笑)

 

 

 

井の頭公園のボートだけでなく

テーマパークとか

どっかの観覧車、とか色々

ああゆう系の言説が言われていて

やたら気にしてる子なんかも

たまーにいるんだけど、

 あきれますよね。(笑)

 

なんであれ信じてるの?って聞いたら

 だいたい返ってくる答えが

 

「○○ちゃんとこも、◎◎のところも、あそこでデートしてそのあと別れてたから!」

みたいな感じなんですよね。

あきれます。(世の中、思った以上にバカが多いもんだ…)

 

そんなもん少し考えたら分かることで、

 

今 世の中に存在しているカップルが

そのまま結ばれる(結婚する)確率なんて低く、

そのほとんどは数年後にはさっぱり別れているわけで

 

べつに、

デートで○○に行っていようが行ってなかろうがどちみち別れてるわ!て話ですよねw

 

 

 

そして○○ってのは

テーマパークやら観覧車や有名な公園などのデートの「定番スポット」なわけだから、

世の中の多くのカップルは一度はそこをデートで訪れるわけで、

それゆえ挙げられる事例や思いつく事例(そういえばAちゃんカップルもBちゃんカップルも○○に行ってた!しかも結局別れた!っての)は

必然的に多くなるから、

 

あたかも

○○にデートに行ったことと、

そのカップルが別れたこととに

因果関係があるかのように思えてくるだけというカラクリ。

 まあ他にもこれに似たような勘違いって

日常的に多くありますよね。

 

 

 因果関係の話で思い出しました話があります。

 

 

相関関係と因果関係の違いって、

思ってた以上に多くの人が分かっていないみたいですよね。

 

たとえば、簡単な例をあげると、

「アイスクリームの売れ行きが良い時期ほど

プールや海での事故が多発している」という

データがあって、

 

これを見て、「アイスクリームを食べると溺死しやすくなるようだ。アイスクリームを食べるのはやめよう!」となる人は、

さすがにいないと思います。

 

常識のある人なら分かると思いますが、

アイスクリームの売れ行きが良いことも、水難事故の多発していることも、どちらも「気温が高い」「暑い日」という原因が共通しているんですよね。

 

だから、アイスクリームの売れ行きと、水難事故の頻度という、この2つの項目のあいだには因果関係なんてありませんよね。

それを、あたかも因果関係があるかのように情報操作して、自分たちに都合の良いような主張の根拠に利用されていることが、しばしばあります。

 

わかりやすい例でいうとマスコミの報道とか、宣伝とか広告にはしょっちゅう見られますよね。

「この商品のおかげで●●になった!」みたいな宣伝文句とともにグラフが示されていることはとても多いです。

深く考えずその情報を鵜呑みにしてしまうと「へぇ、そうなんだ!この商品すごい!」と思わされてしまうのですが、

もしかしたらそこに因果関係なんて無いのかも……

少し注意して見てみればすぐ分かりますよ。

ダマされずに済みます。(笑)

 

そんな簡単なこと言われなくても…という気もしますが、こういう勘違いって気づいてないだけで結構してるひと多いですよね。

意識してみると、おもしろいかも!?

 

 

 

それから、

たとえば、「ある健康食品を多く食べている人は太っている傾向にある」というデータがもしあったとして、

それだけで

「この健康食品を食べると太るらしい。食べるのをやめたほうが良い」ということを言い出す人なんか、結構いますよね。

 

実際には、太っている人は自分の健康を気にしてその健康食品を摂るようにしているのにもかかわらず、です。

 

その健康食品を食べる(原因)から、太る (結果)

のではなくて

太っている(原因)から、その健康食品を食べる(結果)

 

なのに、これをごっちゃにしてしまってるひとが多いという話ですね。

 

 

これらは、典型的な勘違い例として

初学者向けの統計学の本なんかにもよく出てきますね。

 

 

 

 

 

 因果関係つながりで

こんな話も思い出しました。

 

以前、睡眠時間と死亡率の関係のグラフの画像が

ネット上で話題になっていたことがあって、

f:id:ilovespitz:20161004145158j:image

これを見て、


へぇ、睡眠時間は多すぎても体に悪影響なんですね!!!寝過ぎないようにしよう!!!!!

 

みたいなこと言ってるひと多かったのにも、

おどろきました。

相関関係と因果関係をごっちゃにしてる人が多いんですよね。

このグラフから言えるのは単に2つの変数に関係があるという相関関係でしかないです。

どっちが原因でどっちが結果かまでは分かりません。

 

 

じっさいのところこれって因果関係はどうなんでしょうね??専門家の方教えてください。(笑)

 今すこし調べてみた感じだと因果関係までは明らかになってないようですが、あ、ご存知の方いらっしゃいましたら教えてください(笑)

 

わたしはこれは

因果関係が逆だと思ってます。

 

つまり、

寝過ぎると死亡率が上がってしまう、

のではなくて、


体がどこかおかしい人とか、悩みやストレスを溜め込みやすい人、精神状態の良くない人(そもそも早死にしやすい傾向にある人)は肉体的/精神的に普通の人よりもずっと疲れやすいから、沢山寝てしまうんじゃないのかな、とか

 

だから、もともと早死に傾向にあるひとがどんなに睡眠時間を削って6時間程度にしてみたところでべつに死亡率が下がることは無いと思う。

 

 

(まあ私も事実は知らないし、今言っていることでさえ推測でしかないわけですが、少なくともこちらの因果関係の可能性だってあるということに気づいていたひとは果たしてどのくらいいたんだろう?と思いました。)

 

 

ほかにも、

「小さな頃からピアノを習っていると学力の高い子に育つ」という言説も、

ありますよね〜。

自分は

これも、因果関係が逆だと思うのです。

 

つまり、

ピアノを習っているから学力が高いのではなく、

そもそもピアノを習わせてもらえるような家は教育にお金をかけられる比較的裕福な家だから、

塾に通わせたり教材を買い与えたりして進学校に入れたりして、学力も高くなる ってこと。

 

 

 

小さな頃からピアノとか楽器を子どもに習わせるような家庭って、比較的裕福な場合が多いですよね。

富裕層、とまではいかなくても、

少なくとも貧困層では絶対ありえないですよね。

日々の衣食住さえままならないのに

習い事で音楽させるようなお金の余裕はないですもんね。

 

 貧困を経験したことがなく、当たり前のように充実した教育を享受して生きてこられた人々の中には、もしかすると、

「そんな大げさな……ピアノ習わせるくらい大したお金かからないじゃん」と思うのかもしれませんが

教育ってのはお金がかかるもので、

子どもの学力ってのは親の所得の多寡の影響を強く受けます。

(「学力の経済学」という本が以前話題になっていましたよね。東大生の親の平均年収は1000万円超えというのもありますし。)

 

同じぐらいの能力なら、親が教育にかけてくれるお金が高ければ高いほど有利ですし、

 

家庭が貧しければ貧しいほど、不利です。

 

 

家庭が貧しければ、まず、勉強に没頭できる環境にありませんからね。

もしかしたら生活費のためにアルバイトをせざるをえないかもしれないし。

 

裕福なら、衣食住の心配はまずありません。

じゅうぶんな食事と快適な住まいを持ち、日々の生活のことなんてなにも心配することなく勉強だけに没頭できますよね。

 

 

たとえば予備校や塾にも行けるし家庭教師をつけることもできたり、欲しい教材や勉強道具はなんでも買えるし、快適な学習環境を整えることもできますし。

 

勉強にかかるお金はもちろん、受験料なんかもそうですよね。

受験料は気にしなくて良いので気持ちの余裕のために滑り止めを確保…とかもできますしね。

たとえば私立大専願なら、学部すべて受けまくってどこかにかかれば…みたいなひともいますしね実際。

 

 

 

あとは学費や授業料のこともそうですよね、

 

 

これは私の友人の実際の話なのですが、

 

勉強熱心で学力が高いAちゃんと、

あまり勉強していない、学力もAちゃんと比較すると比べものにならないくらい低いBちゃんがいました。

AちゃんとBちゃんは二人とも将来の夢は医者になることで、医学部への進学を希望していました。

 

医学部と一言でいっても、国公立と私立とでは入学難易度に雲泥の差があります。

 

Aちゃんは、猛勉強を重ねた末でしたが、ある国公立大学の医学部を受験しましたが、ギリギリのところで落ちてしまいました。

私立大学の医学部であれば、お金さえあれば入れるような所もあるくらいですから、Aちゃんの学力をもってすれば合格できるところなんて当然いっぱいありました。

でもAちゃんはそちらに進学することができません。なぜなら私立大学の医学部は学費があまりにも高すぎて、払うことができないからでした。

 

 

 

Bちゃんは、Aちゃんのように勉強もしておらず、学力が低かったので、国公立大学の医学部で合格できそうなところは1つもありませんでした。

ですが、私立大学の医学部であれば受かるところがありました。

それで、とある私立大学の医学部に行くことを決めました。Bちゃんの実家はお金持ちだったから、学費を払ってもらえるのです。

Bちゃんは、たまたまお金持ちの家に生まれたおかげで、勉強をあまりしなくても夢を諦める必要がありませんでした。

 

 

かたやAちゃんはBちゃんより遥かに努力もし学力も高いのですが、お金の問題で医学部に進学できず、夢を諦めざるをえませんでした。

 

 この二人の状況を客観的に見ていたわたしは、

そのとき思いました。

自分が生まれてくる家は選べないのに、

親の経済力のせいで努力しても夢を諦めざるをえない子と、親の経済力のおかげであまり頑張らなくても希望を叶えることのできる子がいる、不公平な世界だな、、、と。

 

 

教育はいかに親の経済力の影響をうけるかという事例をあげたかったのですが、

ずいぶん話がずれましたね。(笑)

本題に戻ります。

 

 

なにも小さな頃から楽器を習っていたことが

学力が高いことの原因となっているんじゃなく、

たんに家庭が比較的裕福で子どもの教育に潤沢なお金を投資できる、

そうゆう家庭は習い事もさせるし、(その中でもピアノは定番の習い事なのでさせている家庭は多い)、教育にお金をかけるので必然的に子どもの学力も高くなる傾向にありますよね。

 

 

この、

因果関係の特定は難しい、という話と、

 

親の所得格差による子どもの学力格差、それによって収入の良い職に就くことができなくなりまた貧困から抜け出せない、親から子へと世代間で格差が受け継がれていく、ますます格差は縮まらない、という負のスパイラルの話とか、

 

たまたま貧乏な家庭や教育にお金をかけてくれない家庭に生まれてしまった子供はどうすればいい??という話

 

これらの話は個人的に最近非常に関心のあることなので

その分野の本をしっかり読めたら

後日また書きたいなあと思います♫