たぶん、涙に変わるのが遅すぎたのね。

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お気に入りのフレーズ(森鴎外)

高校時代。

 

わたしは(たまに理不尽なことで怒られることもありましたが、基本的には、)優等生でした。

 

 

勉強を頑張っていたので

つねに全教科の総合成績もトップクラスだったし、

学校を休んだこともなく。

いわゆるガリ勉タイプの優等生の子も

いたけど、

わたしは

勉強以外の色々なこととのバランスも

とても良く頑張ったと思います、我ながら。

ぜんぶ頑張ってた。

 

冗談を言って人を笑わせることもできたし、

いろんな最新の話題や流行にも敏感だった。

趣味もたくさんあった。

学校行事も楽しんでいたし、

異性からも人よりモテて、

スポーツも人より得意だった。

 

 

 

自分で言うのも変だけど、

先生たちがわたしに期待の目を向けてくださり

個人的に非常に熱心に指導してくれているのも伝わってきたし、

 

 

ほかの生徒たちからも

一目置かれているのは分かった。

もちろん親しい友達はいて、そんな友達といるときはバカ騒ぎのようなこともしたりしていたけれど、

そうでない多くの人たちはわたしのことを壁を隔てた少し離れたところから見ていた、そんな感じ。

それに、なんとなく気を遣われているのを感じることも多々あったり。

 

勉強もスポーツでき、異性からの人気があったからなのか、親しくない女子たちからは妬まれ根拠のない悪口を言われることもあった。

 

 

 

こう書くと、自慢ばっかみたいで、

めちゃめちゃ嫌なヤツみたい笑。

 

でも、違うんだよなあ。

当時わたしが不器用ながらも

何事も懸命に頑張っていたのは、

勤勉な性格だからとか、

勉強や、自分の成長が

楽しくて仕方なかったからとか

じゃないんだよなーーと。

怖かったんですよね。心のどっかで。

自分の根は怠け者で弱い人間、頭の悪い人間、要領の悪い人間であることを知っていたから。

 

 張り詰めた糸が一度の気の緩みで

プツンと切れてしまったら、

もうその意図を手繰り寄せることは難しく、

堕落の一途をたどってしまうことになる、

わたしはそれが怖かった。

 

そんな怯えの中で、

努力をやめなかったのも事実だし、それゆえに自分に自信がついたのもまた事実で、

未来に対して大きな希望を抱きそれに向かっていた頃もありました。

そしてそののちに、「ああ、それも一瞬。」と悟りました。

 憧れ、夢にやぶれ、人生最大の挫折を経験したからです。

 

 

森鴎外舞姫」にこんな一節があります。

 

文体が古いので

 

あとに日本語訳をつけてます。

 

 

以下、お気に入りの一節です。

 

 

 

かの人々(※)は余がともに麦酒の杯をも挙げず、球突きの棒をも取らぬを、かたくななる
心と欲を制する力とに帰して、かつは嘲りかつは嫉みたりけん。されどこは余を知らね
ばなり。嗚呼、この故よしは、我が身だに知らざりしを、いかでか人に知らるべき。我
が心はかの合歓といふ木の葉に似て、物触れば縮みて避けんとす。我が心は処女に似た
り。余が幼きころより長者の教へを守りて、学びの道をたどりしも、仕への道を歩みし
も、みな勇気ありてよくしたるにあらず、耐忍勉強の力と見えしも、みな自ら欺き、人
をさへ欺きつるにて、人のたどらせたる道を、ただ一筋にたどりしのみ。よそに心の乱
れざりしは、外物を棄てて顧みぬほどの勇気ありしにあらず、ただ外物に恐れて自ら我
が手足を縛せしのみ。故郷を立ち出づる前にも、我が有為の人物なることを疑はず、ま
た我が心のよく耐へんことをも深く信じたりき。嗚呼、かれも一時。舟の横浜を離るる
までは、あつぱれ豪傑と思ひし身も、せきあへぬ涙に手巾を濡らしつるを我ながら怪し
と思ひしが、これぞ なかなかに我が本性なりける。この心は生まれながらにやありけん、
また早く父を喪ひて母の手に育てられしによりてや生じけん。
かの人々の嘲るはさることなり。されど嫉むはおろかならずや。この弱くふびんなる
心を。

 

※この一節の直前に、

大学で、「日頃ベルリンの留学生のなかで、ある勢力のあるグループと私の間に、つまらないいざこざがあって、その人たちは私を疑い、ついには私を悪く言うようになってしまった」

という部分がある。

 

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 以下、現代語訳です。

 

 

その人たちは、僕がいっしょにビールも飲まず、ビリヤードもしないのを、頑固な心と禁欲的な考えからだと思い、けなしたりうらやんだりした。しかし、それは僕のことを知らないからだ。ああ、そのわけは自分でさえわからなかったのに、どうして人にわかるはずがあっただろう。僕の心は、例の「合歓(ねむ)の木」の葉のように、ものに触れると縮んで避けようとした。僕の心は少女のように、か弱かった。幼いころから、目上の者の教えを守って学問をしたのも、官僚の道に進んだのも、すべて、勇気があってしたことではない。忍耐力・集中力と見えたのも、すべて自分をだまし、人さえもだましていたことであって、人が引いたレールの上をただまっすぐに走ってきたに過ぎない。ほかのことに興味がそれなかったのは、富や名誉を捨ててもかまわないという勇気があったからではない。ただ、外界のものを恐がって自分で自分の手足を縛っていたからだ。日本を出発する時までは、自分が人の役に立つ人間であること、また、自分に忍耐力があることを疑わなかった。けれど、ああ、それも一瞬。「ああ、豪傑だ、英雄だ」と思っていたが、船が横浜の港を離れるや、ハンカチでは間に合わないほど涙がとめどなくあふれた。そのことを我ながら不思議だと思ったが、それがかえって本来の僕だったのだ。この臆病な心は、生まれつきのものだったのだろうか、あるいは、早くに父を亡くして、母の手で育てられたからそうなったのだろうか。

だから、その人たちが僕をばかにするのはもっともで、的を射ている。けれども、どうして嫉妬するようなことがあろうか。こんなことは羨むようなことではないのだ。(実際には、僕の心は弱く哀れだったのだから。)

 

 

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歴史に名を残した文豪と自分を 

似ている、なんていうのは

おこがましいし、恐れ多いんだけど、

これを初めて読んだ時は、

 

当時の自分がなんとなく感じていたのあのよく分からない感情を

こんなふうに分かりやすく

表現されたものに出会えたことに

非常に感動しましたね。