私の好意=類似性+尊敬の気持ち+α
まず、自分と感性が似ているひと。
たとえば同じ作品や光景、状況を前にして、
いっしょに心から感動できて、同じ状況を前にしていっしょに悲しんだり怒ったり、考え込まずにはいられなくなって本気で議論したくなってしまったり、
同じものを見たときに鵜呑みにするんじゃなくて、疑問を抱くことができて、
これって本当にそうなのかな?
どうしてなのかな?こういう意味なのかな?あれ、違うかな?
ってわたしと同じように1つのことが気になって仕方なくてじっくり考え込むくせのある人、冷静に考えてきちんと話し合うことができる、そんな思慮深さと冷静さと視野の広さと教養を私よりも多く持っている人、
頭を使うような難しい会話も避けずにむしろ楽しんでできる人、
わたしの疑問や質問に対して、いつまでも愛想尽かさず、粘り強く向き合い続けてくれるほどの、忍耐力のあるひと。
わたしの知的好奇心を満たしてくれるひと、知的なものでもなくても、好奇心に向きあってくれたり。
わたしはこうゆう人間なの、ってわたしが複雑なよく分からないことは長々と語り出しても聞いてくれる。
もちろん私も同じように相手に忍耐強く接するの。
そのくらい自分とよく似た感性や内面の世界を持っていて、
だからこそ内面の世界の奥深くの、繊細で弱くて暗くてどうしようもない部分も痛いほどよく分かり合えて、
なんとなく自分の中のばらばらでごちゃごちゃになったものが、その人との出会いや、その人の存在のおかげで救われて、再構成というか、再生されていくような気がするひと。
まさに、過酷な砂漠の中で出くわしたオアシス、暗い夜道を優しく照らしてくれたお月さま、どん底から見上げた果てしなく広く青々とした空、みたいな人。
それでいて、心から尊敬できるひと。
自分の足りないもの、自分が頑張っても追いつけないくらいのひと、自分が努力してもなかなか手に入らないだろうなあと思う能力(私ならたとえば研ぎ澄まされた理系的なセンスにとっても憧れます。頭脳明晰で論理的で客観的で抽象的な思考力を持っていたり、なにか難しい技術でも良いし、たとえばなにか音楽とか芸術的な才能とかでも良いなぁ。)そうゆう私が得たくても得られないものを持っているのに、決してそれを引けらかして自慢したり威張ったりすることもなく、
むしろ地味で一見すると冴えないくらい控えめで謙虚な人が好き。
あとのαは、趣味を一緒に楽しめる、とか見た目が好み、とか、これまでの人生の境遇がなんだかんだ似ている、匂いが好き、とかかな?笑
でも、感性が似ていたら趣味を一緒に楽しむことはできると思うから、類似性のところに含まれるのかな〜、これは。
そんな人に、出会えました。
一生そばにいたいなーって思います。
もちろんその尊敬の気持ちがほんとの愛に変わったときは、途中からその人のその要素が変わってしまっても、許せるのでしょうね。