たぶん、涙に変わるのが遅すぎたのね。

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感情的にならないように。

 

大事故があったせいで、原発反対の声が大きくなっている。事故があって初めて危険性を知った人が多いわけだが、こういう経験をしたのなら、この経験を抽象化して「事故が起こる以前から、もう少しなにごとも心配した方が良い」という展開をしたいものである。

そうでないと、今回の教訓を活かせないことになる。

太陽光発電風力発電や、新しい技術に危険はないのか、とどうして今疑わないのだろうか?

 

活断層の上に原発があるとたしかに危険な感じがする。であれば、活断層の上を新幹線は走っていないだろうか、となぜ心配しないのか。

 

地震があったとき、原発は事故を起こすかもしれないが、そこで直接死亡者が出る確率は低い。

現場にいるのは、原発で働く職員だが、これらの人たちも、また周辺地域の住民も、避難をする時間的余裕があるだろう(現に、今回の事故でもそうだった)。

一方、活断層の上を走る新幹線に乗っていれば、何百人何千人という命が奪われる可能性が大きい。

そういう考えを誰もしないのは何故だろうか?

 

誤解しないでもらいたい。

僕は、原発賛成派でもないし、また、新幹線を即刻廃止しろと言っているのでもない。

 

ただ、少なくとも、賛成や反対と声を上げるならば、そういう指摘に対して、きちんと答える、あるいはせめて調べるくらいの姿勢が必要だし、自分なりの意見をしっかりと確認してからにしてもらいたい、と思うだけである。

 

「どうして、原発は即刻廃止で、鉄道は廃止にしなくても良いのか?」という、

「疑問」を書いただけで、

「福島の人の気持ちをどう思っているのか?」と怒り出す人がいるのだ。

 

僕は、疑問を持ち、

それについてなんらかの答えを聞きたい、

と言っているだけである。

 

どこの国のどの原発の話をしているわけでもない。具体的な情報を調べたわけではない。

 

 

もっと抽象的な、本日の議論を聞きたいのだ。

 

 

 「悪い者は悪い。こんなものを許すことは絶対にできない。反対しない人間は間違っている。そんな間違った人間の意見など聞いてはいけない。」というように聞こえる。

こうなってしまうと、もう一種の人種差別に近い。

 

 

ちょっと抽象的に考えてみよう。原発は、原爆のように悪事を働くために存在するものではない。

それくらいは認めても良いだろう。

電気を作るために、社会のみんなのために作られた装置だ。

であるから、「原発をすぐなくせ」と主張するならば、その分なにかで電気を得る方法を提示しなければならない。

だから、原発を今すぐ廃止しろと主張する人は、少なくとも、原発はさに代わる発電方法の安全性を、原発並にしっかりと確かめる必要があるはずだ。

天然ガスや石炭を燃やす火力発電は、ついこの前まで、「温暖化の主原因であり、地球環境を破壊する悪の根源だ」とバッシングされていたではないか。

そこのところの解釈を、僕は聞きたいのである。

 

 

 

もう一度書くが、僕は原発に賛成しているわけではない。

活断層の上を走る新幹線に乗るときは、ある程度覚悟をして乗っている。

 

同様に、原発だって、もしものときの覚悟を、みんなは既にしていたのではないのか、ということである。

 

 

出典:森博嗣「人間はいろいろな問題についてどう考えていけば良いのか」

 

 

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どっちが正しいとか間違ってるとかの判断をくだすほど私はその分野に詳しくないし、専門家でもないので、迂闊なことは言えませんが、

 

ただ、感情的な意見しか出てこない側(なぜかだいたい、反対派に多いんですよね。)に対しては

そう考えた客観的な理由を聞かせてくれよ、と

いつも思います。

 

 

賛成派のひとたちの論拠はしっかりしているのだけど、

 

反対派からは、客観的で論理的な根拠が

全然聞こえてこない。

感情論ばかりだから、全然説得力がない。

 

 

ことが多い気がしますね…。