客観的な捉え方をできるようになりたい
自分が得た情報を、別の情報と照らし合わせたり、理屈を考えて、どうしとこういったものが伝わってきたのだろう、といちいち考える人も少ない。
そんな暇はないのかもしれない。
しかし、ちょっと考えてみれば、「これはできすぎている」「嘘かもしれない」と疑うことができるはずだし、その情報の陰に隠れている動機、相互関係といったものを類推することもできる。
もちろん、真実はわからないが、自分なりの解釈を持つことで、ものの見方は変わってくるだろう。
自分なりのものの見方を持っていることが、客観性や抽象性を育てる。
「見えるもの」がすでに偏っている。
現実に見えるものの多くは、誰かによって見せられているものであって、
その人にとって都合の良いように加工されているため、そのまま受け取ってしまうと、結果として渦の中へ吸い込まれていくことになる。
別の言葉で言えば、知らず知らず、他者に「支配」されてしまうのである。
たとえば、ファッションには流行というものがある。今年は何色が流行る、というような情報が流れる。
どうして、そういうものがあるのだろう?
それは、みんなが同じものを買うことが、生産者にとっては高利益だからだし、また、買う方にとっても、考えなくても良い、という利便性があるからだ。
このため、流行を知らない人は「遅れていると」人であって間違っている と言わんばかりの印象を、捏造するのである。
出典:森博嗣「人間はいろいろな問題についてどう考えていけば良いのか」