たぶん、涙に変わるのが遅すぎたのね。

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大勢の人や親密ではない人と話した後にひどく疲れてしまう。

私はなんだか人と話した後にひどく気疲れてしまうことが多い。

 

よほど心を許していて、本当の私を理解してくれていて(と少なくとも私にはそう感じられて)忍耐強く長い話を聞いてくれる人と2人きりであれば平気だし、むしろ好きなんだけど。

 

そうでもない限り、仲の良い友人なんかであっても、たとえば、その場その場の会話はそれなりに普通には楽しめたり冗談を言って笑かせることもできるしみんなで大笑いもできたりはできるのだけど、

 

その時のその時間が終わって1人になった時、先ほどのは、

もっとふさわしい表現があったのにうまく伝えきれなかった(うまく言語化できなかったな)と落ち込む。

 

 

 

文章を書くことによって気持ちや考えを述べるなら、推敲を重ねることができるし、時間制限もないから、まだ、実際の自分の内面にできるだけ近づけた言語化を試みる余地がある。

 

でも、会話中は難しい。

普通に何人かで会話してる最中って大抵は、どんどん話題は変わっていくし、

他のひとが話し始めたりもして、あんまり1つについて掘り下げるだけの時間的な余裕もないし、誰もそれ以上つっこんでこなければ自分からだらだらと詳細やそれに至る経緯を話し出すのも変だし、それゆえ、なにか質問された時なんかも、一言でパッと簡潔に答える必要が生じる。それがなかなか難しい。

 

 

今のじゃほんとに簡潔にしか伝えられなかったけどそんな一言でさらっと説明できるほど単純な話じゃないのに!!

そこに至るまでいろいろ複雑な思考回路あってのそうなってるんだよ!!!

でも数秒では話しきれるほどのことではないし…あーー!!、と思って、

とてももどかしくなるのです。

 

そして、自分の複雑な考えや気持ちの中の、ほんの断片だけしか伝えられないとか、もしくは、本当に簡潔な言語化のせいで実際とは少し違う意味になって相手に伝わってしまうくらいなら、いっそなにも伝えないほうがマシだという気持ちになってしまって、

 

いつからか、たとえば大勢での飲み会みたいに、そこまで親しくもないたくさんの人たちが集まってほとんど表層的で軽い会話をノリと勢いだけでサラッとするような場だとか、あまり忍耐強く人の話を聞こうとしない人との会話は(もともとあまり好きではないが、)ますます、苦手になっていった。

 

そういう場では

忠実に心の中を言語化する余地が与えらていないから。

発言した後で 今のは違ったな…ほんとはこうゆうことを言いたかったのに、と考え込んでしまってしんどいから。